ご先祖様への最大の供養とは
お盆が過ぎました。
今朝の駅はすっかり日常に戻っていましたが、みなさまはいかがお過ごしでしょうか。
ご先祖様に想いを馳せるこの時期は、確かに「こちら側」と「あちら側」が少し近づくように感じられます。
さて、「ご先祖様への最大の供養」とは何か。
私なりの考えですが、ひとつ辿り着いた答えがありましたので、ここに綴りたいと思います。
後悔なき人生はあるのか
人は誰しも、人生の終わりに「後悔したくない」と願うものです。
私も同じです。
ただ、果たして「後悔のない人生」というものがあるのでしょうか。
いつ命の終わりが訪れるかわからない中で、まったく悔いなく旅立つことは難しいことかもしれません。
けれども、たとえ後悔があったとしても「それでも報われた」と思える瞬間があれば、きっと心は救われるのではないでしょうか。
私にとってのその瞬間とは、子どもたちが「生まれてきてよかった」と思えて、「生きる幸せ」をたくさん感じてくれること。
もし子どもたちがそう言ってくれるのなら、それだけで自分の人生そのものも報われる気がするのです。
ご先祖様にとっての喜び
この想いを広げていくと、ご先祖様もまた同じなのではないかと思うのです。
私たちが心から「生まれてきてよかった」と感じ、日々を感謝とともに大切に過ごすこと。
それこそが、ご先祖様にとって最大の喜びであり、私たちを見守り続けてくださる理由なのではないでしょうか。
幸せに生きることは「魂の供養」
「供養」という言葉からは、宗教的な儀式や形式を思い浮かべる方も多いと思います。
けれどその本質は、もっとシンプルで、もっと深いもののように感じます。
それは「心を寄せること」、そして「自らの魂を輝かせて生きること」。
私たちが幸せを感じ、感謝を胸に生きるとき、その波動は目に見えなくても確かにご先祖様へ届いている。
そして同時に、ご先祖様からの温かなエネルギーが、私たちを包み込み、後押ししてくださっている。
「幸せに生きる」という行為そのものが、最も自然で力強い供養であり、私たちとご先祖様を結ぶ温かな光のようなものだと思うのです。
感謝が生む循環
感謝の気持ちは、目に見えない世界と私たちをつなぐ鍵です。
「ありがとう」と思うたびに、その想いは静かに届き、やがて巡り巡って自分自身を温めてくれる。
それは目に見えない循環となり、私たちが笑顔でいるほど、そのエネルギーはご先祖様へと届き、ご先祖様の想いもまた私たちの人生に反映されていく。
そこには「こちら側」と「あちら側」を超えた交流や共鳴があるのだと思います。
命のバトンと魂の記憶
私たちが今ここに存在しているということは、数えきれないほどのご先祖様の人生が積み重なった結果です。
そのひとつひとつの命のバトンが託され、今の私たちへと繋がっている。
もしかしたら、私たちの直感や価値観の中には、ご先祖様から受け継いだ「魂の記憶」が息づいているのかもしれません。
だからこそ、私たちが幸せに生きることは、自分自身だけでなく、ご先祖様の魂をも癒し、輝かせることに繋がるのだと思います。
終わりに
お盆を過ぎた今、改めて想うこと。
感謝とともに、幸せに生きること。
それは自分自身のためであると同時に、ご先祖様への感謝と供養であり、未来へ命の光を受け渡す行為でもあるのだということ。
子どもたちが「幸せだよ」と笑顔で言えるように。
そしてそのまた次の世代が、さらに光を受け取り、輝かせていけるように。
私もまた、ご先祖様から受け継いだ命と魂を、精一杯生き切りたいと思います。
命を繋いでくださったすべての方へ。
感謝と祈りを込めて。
